2011年7月1日 日経新聞
<交遊抄>
若いときの出会いは、その後の人生を大きく左右する。私の場合は医学生時代に恩師、藤田哲也先生とお会いし、その学問の深さと偉大な人柄に引かれ、卒業後、先生の病理学教室の門をたたいた。京都のルイ・パストウール研究所の所長で、私の母校である京都府立医科大学の学長も務められた、病理学の分野でさん然と輝く星だ。
父親が日本画像で、ご本人もバイオリンの腕前がプロ並みの先生は繊細な感覚の持ち主。
私の大学4年生の当時は全共闘運動のまっただ中だった。校内にバリケードが築かれ、学生と機動隊が対峙する物々しい雰囲気の中、我々のために卒業試験の会場を用意し、全共闘から守ってくださったのが、学生部長代行だった先生だった。
4年前、私が学長に就任したとき誰よりも喜んでいただいたのは31年前に福井医科大学(現福井大学)の教授として強く推してくださった先生だ。京都で盛大な祝賀会まで開いていただいた。
それ以来、学長としての任務に時間を奪われ、学問だけでなく人生の師でもある先生とお会いする機会が減ってしまった。だが、大きな問題に直面すればするほど「こんなときに、藤田先生ならどうされるだろう」と自問し、心の中で言葉を交わしている。(ふくだ・まさる=福井大学長)