医学部医学科3年
菖野 邦浩さん
本学医学科には3年次の夏休み直前に基礎研究室配属というカリキュラムがあり、学生は基礎研究科目の研究室に短期配属して医学研究の手ほどきを受けます。私はこのカリキュラムでインドネシアのスラバヤに行き、アイルランガ大学のストモ病院で4日間、ITD(熱帯病研究所Institute of Tropical Disease)内に設置された感染症研究国際ネットワーク(J-GRID)神戸大学インドネシア拠点(Collaborative Research Center for Emerging and Re-emerging Infectious Diseases: CRC-ERID)で2週間の研修をさせていただきました。
このカリキュラムでは、一昨年度の宮永光次先輩がその道筋をつけ、昨年度は池田有紀先輩、今村由人先輩が研修を行っています。現地で見たことや、学んだことを私の目線で報告させていただきます。
(三人の体験記はこちら:宮永先輩、池田先輩、今村先輩)
初めは海外への強い憧れがきっかけで、どこでもいいから行ってみたいと思っていました。海外で研修ができる研究室はいくつかあったのですが、その中でもインドネシアのプログラムが2年生で学んだ微生物学や免疫学をさらに深めることができると思いました。インドネシアに行くことが決定してからいろいろ調べてみると、鳥インフルエンザの発症者数が最も多い国であることを知りました。その他にも下痢症や肝炎ウィルス、デング熱など日本ではほとんど見られないような感染症患者がたくさんいることを知り、実際に見てみたいという興味がわいてきました。また、近年の地球温暖化によって、熱帯地域の病原体やその媒介動物が日本にも入ってくる危険性があることを知り、そうした時にインドネシアの現状をあらかじめ知っておくことは何かの役に立つかもしれないと考え、インドネシアへの興味が強くなりました。
私はアイルランガ大学の寮で大学二年のムディ君と部屋をシェアして3週間滞在しました。彼はとてもフレンドリーで食堂での注文の仕方や、ショッピングモールまでの行き方などを教えてくれました。寮に滞在して最も驚いたことは、イスラム教徒(ムスリム)たちの生活です。私が滞在した3週間はラマダーンの期間にあたっていたため、ムスリムはみな絶飲食(ファスティング)をしていました。食堂も午前3時から4時までの一時間のみ営業します。寮のほとんどの学生がムスリムで、ムディ君もムスリムでした。彼らは午前4時までに朝食を済ませ、4時半に爆音で鳴り響くコーランの合図とともに一日の最初のお祈りをします。その後およそ決まった時間に残り4回のお祈りを欠かさずに行い、夕方5時半まで飲まず食わずの生活を続けます。夕方5時半になった瞬間、ファスティングが解けてムディ君はおいしそうに水をグビグビ飲んでいました。
一日の最後のお祈りは寮の近くにある野外の集会所のような所でムスリムたちが集まり、およそ一時間かけて念入りにお祈りをします。その厚い信仰心に驚き感心しつつ、それまで心の中にあったイスラム教徒は怖いというイメージが崩れていきました。僕の持っていたイスラム教徒のイメージはテレビやネットからの情報によって作られたものであったことに気がつきました。やはり実際にしゃべったり食事をしたりすることでお互いを理解していく過程がとても大切なんだと思いました。毎日朝ごはんのために朝の3時に起き、4時半に流される爆音コーランの中ふたたび眠りにつくという生活は初めの一週間はとてもつらかったです。
ひとつの部屋に4つベッドがあって、それを部屋ごとに大体2~3人で共用しており、一ヶ月の滞在費が部屋につき6000円なので、シェアする人数が多いほど、自分の負担金額が安くなるという仕組みです。ベッドは見た目きれいですが、よく見るとシロアリが這っていて、毎晩シロアリと格闘しながら寝ていました。夜は窓を開けて寝ると蚊が入ってくるので閉めていましたが、とても暑かったです。寮のシャワールームはお湯が出ず、7月の熱帯地域とはいえ朝は少し冷えるので、朝から水シャワーを浴びるのは、初夏の冷たいプールに飛び込むような気持ちになりました。トイレにはトイレットペーパーはなくバケツと柄杓がおいてあるだけで、使い方をムディ君に聞きましたがお尻が濡れたままパンツをはく事になるので、日本から持っていったトイレットペーパーを使っていました。インドネシアでの3週間を寮に滞在してムスリムたちの生活に密着でき、その生活を知ったことはとてもいい経験になりました。
まず病院に到着して驚いたのは、駐車場で車を縦列駐車するのにスペースがなくて、前後の車を何人かの人が人力で押して少しずつスペースを広げている現場に出くわしたことです。日本ではありえない光景に、衝撃を受けました。さらに院内には、なぜかきれいな洋服や、食べ物などを売っている店がありました。聞いたところによると、ラマダーンが明けると長期休日になり故郷に帰る人が多く、病院スタッフはお土産や新しい洋服を買いに行く時間がないため病院スタッフと患者のために洋服を売っているのだとか。
インドネシアのカリキュラムでは医学部4年生から病院で実習を行っていて、日本よりも早い段階で臨床を経験することで、勉強に対するモチベーションを高めたり、知識の定着を効果的に行っているようでした。ヤングドクターたちはすごく親切で日本から来た私に丁寧に、英語を駆使して教えてくれました。また一緒に映画を見に行ったり、ゴーカートに連れて行ってくれたりしました。
病棟で最初に見たのはデング出血熱の患者さんでした。デング熱は蚊によって媒介され、デング熱ウィルスを持った蚊にかまれると、軽症ならば発熱してその後、自然治癒していきますが、重症化すると四肢の皮下出血を伴ったデング出血熱となります。特別な治療法はなく対症療法を行っていました。次は、HIV感染者で結核を併発している患者さんを見ました。結核がかなり進行しているらしく、患者はやせ細って、呼吸するのがとてもつらそうでした。
最後に日本ではほとんど見られないレプトスピラ症の患者さんを見ました。この病気はネズミの排せつ物に存在する病原体に感染することによって発症します。私が見た患者さんはかなり重症化しており、黄疸が出ていました。職業がリサイクル業で劣悪な環境で働いているから感染したんだとヤングドクターに教えてもらいました。
CRC-ERID/ITDでの研修の経緯については先輩方が書いていらっしゃいますのでそちらをご覧ください。CRC-ERID/ITDではデング出血熱の疫学調査や、発症メカニズムの解明、HIVの薬剤耐性株の分布、インフルエンザウィルスの型の確定、透析患者におけるC型肝炎ウィルスの感染の有無、下痢症の細菌の特定などを行いました。特に印象に残っているのは、インフルエンザウィルスの型の特定です。これは重症なインフルエンザ感染患者が病院内で現れたためにその原因ウィルスの型の特定を急ピッチで行わねばならないというものでした。実際の血液サンプルからウィルスの塩基配列を特定しなければなりません。私の滞在中にインフルエンザの型の特定はできませんでしたが、さまざまな可能性を考慮しながら、慎重に真実に迫っていこうとする研究者たちの熱意が感じられました。地道な作業の繰り返しであったとしても、その積み重ねが人々の健康に直結していくことを知りました。
CRC-ERID/ITDでは蚊の研究もされていました。デング出血熱や、マラリアなどは蚊を媒介とするため、蚊を効果的にかつ、環境に負荷を与えずに数を減らすためにはどうすればよいかという研究でした。初めて触れた分野でほんの数時間見学しただけでしたが、とても面白かったです。
また肝炎ウィルスチームでは、インドネシアの透析患者で肝炎ウィルス感染が広がっている原因を突き止めようとしていました。この研究は地道な疫学調査が必要でとても根気の要る仕事でした。肝炎ウィルスを保有している透析患者によって新たな感染者を生まないためにも重要な研究だと感じました。
インドネシアの研究者たちは日本に強く興味を持っていて、学べるチャンスがあればいつでも日本に行きたいと話していました。ストモ病院で出会ったヤングドクターもそうでしたが、インドネシア人は向上心が強く、学ぶことに貪欲でした。日本に住む自分自身を振り返って考えたときに、今ある現状に満足して、安住してしまっていることを恥ずかしく思いました。海外にはいくらでも高い目標を持ったライバルたちがいることを肌で感じ、とても反省したと同時にがんばろうという気持ちを新たにしました。
インドネシア研修を終えて日本に帰ってきて、最初に思ったのは日本の夏は本当に暑いということです。インドネシアの気温よりもはるかに高く感じました。日本にもいずれ熱帯感染症媒介動物が入り込んでもおかしくないと感じました。研修で得たことをどうすれば生かしていけるのか、これからもずっと考え続けないといけないなと感じました。
今回の3週間の研修はCRC-ERIDの内海先生や清水先生、神戸大学医学研究科の堀田教授、そして福井大学医学部ゲノム科学・微生物学領域の定教授、そのほかたくさんの先生方、事務の方々のお力添えで実現できました。この場をお借りして感謝したいと思います。