FACE

ホーム >   >  私たちにとっての「非日常」へ ―インドネシア スラバヤでの3週間―

私たちにとっての「非日常」へ ―インドネシア スラバヤでの3週間―

医学部医学科3年

池田 有紀さん

本学医学科には3年次の夏休み直前に基礎研究室配属というカリキュラムがあり、学生は基礎研究科目の研究室に短期配属して医学研究の手ほどきを受けます。私はこのカリキュラムでインドネシアのスラバヤに行き、21日間の研修をさせていただきました。基礎研究室配属での海外研修は、昨年度、宮永光次先輩がその道筋をつけたものです。(宮永先輩の体験記はこちらからもみることができます。)

研修内容は基本的に宮永先輩の研修内容と同じですが、今回は私と同級生の今村君の二人で行くことになりました。私たち二人はスラバヤのアイルランガ大学の寮で3週間暮らし、飛び入りで現地の私立病院を訪問する機会もいただきました。宮永先輩とはまた違った目線で研修報告をできればと思います。

―なぜ熱帯の国を訪問し、熱帯医学を学ぼうと思ったかについて―

街中は、バイクの交通量がとても多いです。

街中は、バイクの交通量がとても多いです。

そもそも留学をしようと思ったのは、昔から興味があったということもありますが、せっかく6年間という長い学生生活があるのに、医学の勉強のみで終わるのはもったいないという気持ちもあり、比較的時間がある3年生のこの時期に海外を訪れようと決めていました。

最終的にインドネシアでの研修を希望した理由はいくつかありますが、主な理由として2つ挙げられます。1つ目は、マラリアやデング熱などの熱帯で流行する病気は日本では症例も少なく、参考書以上のことはわからないので、熱帯病というのはどういうものか、現地ではどのような対応をしているのかをこの目で見てみたいと思ったことです。もう一つの理由は、東南アジア諸国が私にとって未知の国であったことです。国民の約9割がイスラム教徒というインドネシアで、彼らはどのように生活しているのか?彼らの人柄は?など、様々な興味がありました。

―インドネシア・スラバヤの環境・衛生状況―

インドネシアは常夏の気候で、雨季と乾季に分けられます。雨季は降雨量も多く、ジメジメしており病気が蔓延しやすく過ごしにくいそうですが、私が訪れた7~8月は乾季であり、めったに雨も降らずカラッとしていてスラバヤの気温も30℃前半でした。陽射が強いと感じる以外は、この時期日本よりむしろ過ごしやすいと感じたくらいです。衛生面では、やはり日本の方が断然清潔だと思いました。インドネシアにはよく屋台があるのですが、使用済みの皿を洗うのは、バケツに貯めた水に通すだけというものでした。現地の水道水は飲食には適しておらず、飲み水としていつもペットボトルの水を買っていました。

また蚊の種類は時間帯によって異なり、昼はデングウイルスを媒介する蚊、夜はマラリアを媒介する蚊がいました。しかしマラリアは田舎で多く、都会ではほとんど流行していないためスラバヤでは滅多に感染しないそうで、夜よりも昼の時間帯の蚊に気をつけるよう言われました。夜の方が蚊は多いですが、それほどの脅威は感じませんでした。

―スラバヤでの生活―

上述しましたが、私はアイルランガ大学の女子寮で3週間過ごしました。寮にはエアコン設備がなく、シャワーは水しか出ないというようなところでした。インターネットは一応つながりますが、接続があまりよくなくて寮の敷地内でも屋外でないとつながりませんでした。そこで夜蚊に咬まれながらよく日本の家族や友人とメールをしていました。女子寮では100人程のアイルランガ大学の女子学生が衣食住を共にし、夜11時くらいまで屋外とつながっている談話室のような広間でおしゃべりをしている子達もいました。寮で暮らす子たちは出身地が遠方で、私は、スラバヤがあるジャワ島ではなく、スラウェシ島やスマトラ島から来たという子たちとも出会いました。私は、その子たちからインドネシアといっても数多くの島があり、場所によって食事、民族衣装、住居などが異なり、様々な文化があることを教えてもらいました。

インドネシアの人々は英語が話せる人はあまり多くなく、寮でも英語を話せる人は限られていましたが、私が話しかけると、素敵な笑顔で迎えてくれました。そしてインドネシア語だけを話す子達は英語とインドネシア語両方を話せる子を架け橋にしてそこにいる皆で話す、ということが多かったです。その場に英語を話せる子がいなかった場合、わざわざ話せる子を呼び出してきてくれたりもしました。またムスリムの女の子のかぶり物であるジルバブには様々な色があり、服とジルバブの配色を考えて着こなし、そしてジルバブを胸元で留めるブローチも人によって様々で、おしゃれを楽しんでいるのはどこの国でも同じだなと思いました。寮ではジルバブを取っている姿も見られて少し得した気分でした。彼女たちのフレンドリーさや面倒見の良さに何度もお世話になり、また楽しい時間を過ごすことができました。休みの日には、スラバヤ市内の観光に、また片道40分程飛行機に乗ってバリ島を訪れることもありました。

―インドネシアでの食事―

私がインドネシアを訪れた時、日中、飲食が許されず日没後のみ飲み食いしてもよいという、ラマダンの(断食)時期と重なりました。その時期、ラマダンに合わせてキャンパス内のカフェテリアの営業時間は朝3~4時と夕方6~7時に変化しました。またキャンパスの外で食事をする時も、イスラム教の教えを守り携帯電話で日没の時刻を調べて、今か今かと日が沈むのを心待ちにしていました。スラバヤにはイスラム教以外の宗教を信仰する人々も数少ないですがいらっしゃるので、通常の営業時間で開いている店もありました。しかし、ムスリムの人口が100%という地域では飲食店が日中すべて閉まるそうです。キリスト教徒のヤングドクターの友人は、そこを訪れた時カップ麺で乗り切らざるを得なかったと言っていました。

年に一回程ラマダンの間にITDの研究者が集まって、夕食を皆で食べに行くということで、私たちも誘って頂きました。この時、最初に砂糖がたっぷり入ったアイスティーとココナッツにフルーツなどが入ったスープが出されました。日中絶飲絶食のため糖分と水分を摂取しなければならないからだと聞きましたが、なんだか最初にデザートが出てきたみたいで新鮮に感じました。

―ストモ病院訪問について―

ストモ総合病院の正面にて

ストモ総合病院の正面にて

ストモ総合病院の熱帯病の患者が入院する棟で様々な症例について学びました。具体的には結核、デング熱やデング出血熱、レブトスビラ症、腸チフスについてです。これらの病気の患者に実際に会わせて頂き、症状や検査結果や治療方針などについて教えて頂きました。ここで学んだ病気は、熱帯に特有で日本国内では発生例が少ないため、貴重な症例を多く勉強することができました。またこの他に、ER(救急救命室)やICU(集中治療室)、NICU(新生児特定集中治療室)にも案内して頂きました。ERはJICAという日本の国際協力機構の資金援助を受けて造られ、吹き抜けの構造をしていました。私は、日本で見てきた病院とは異なる、その開放的すぎるのではないかと思う病院を見て、少しショックを受けました。

私たちはストモ病院で働いているヤングドクターと行動を共にしました。ヤングドクターとは、4,5年生の医学生のことですが、病院で患者さんを受け持ち、診断や治療方針を決めることができます。彼らにはお土産物屋さんや映画、ご飯などいろいろな所に連れて行ってもらいました。 ストモ病院見学の最終日には、あるデング出血熱入院患者について、お世話になったビタナタ医師や教授、ヤングドクターの前でプレゼンテーションを行いました。このプレゼンテーションは医師が実際に臨床の現場で行うように、ある患者についての社会的情報、主訴、検査結果やWHOのガイドラインを参考にして今後の治療方針を発表しました。このようなプレゼンテーションは初めてで、また英語で行わなければならなかったので、大変でしたが将来につながるとても良い勉強になりました。

―ITDでの研修について―

スラバヤのアイルランガ大学のキャンパス施設であるITD(Institute of Tropical Disease:熱帯病研究所)で2週間勉強させて頂きました。 ここではB型肝炎ウイルス(HBV)、C型肝炎ウイルス(HCV)、デングウイルス、サルモネラなどの下痢を引き起こすウイルスや細菌、鳥インフルエンザ(AI)の研究室を2日単位でまわりました。HBVの研究室ではスラバヤのある地域に住む妊婦のHBs抗原というB型肝炎の抗原の有無を調べ、B型肝炎に感染しているかどうかを、様々な機械を用いて実際に検査しました。

JICAが主導している研究室では、C型肝炎の感染防御や治療に何らかの効果があるハーブについて研究を行っています。私はここでその研究内容について学びました。デングウイルスの研究室では、(デングウイルスとマラリアを運ぶ蚊の種類は異なっているため)蚊の種類の区別の仕方や雌雄の区別の方法、蚊のライフサイクルや、蚊の繁殖を減らすためにどのような対策がなされているのか、又は研究中なのかについて学びました。 デングウイルスによるインドネシアでの死亡数は非常に高く、インドネシアでは深刻な課題となっています。感染を防ぐにはウイルスを運ぶベクターとして蚊の研究が必要であるためです。

また私たちは、アイルランガ大学のスギャン教授が院長をされているSoerya病院を訪問する機会を頂きました。その病院は私立病院で、デング熱患者の症例が数多く、そのデータをITDでの研究のために活用しています。診る患者さんは子供とそのお母さんです。子供が病院に来る理由としては、発熱や衛生面の悪さによる下痢症がほとんどでした。そこでは教授自らが患者さんの病室を回り、肺炎に罹っている子供の呼吸音を聴診器で聞かせていただいたり、ウイルスに感染している肺のレントゲン写真を見せて頂いたり、症状や治療方針について教えて頂いたりしました。

さらにITDの研究者の方々には、研究内容を教えて頂いた他に、ラマダンで食べられなくても、ご飯にわざわざ連れて行ってくださることもありました。インドネシアでの研修最終日には、ベチャという、お客さんを前の座席に乗せて走る人力自転車に乗ることができました。よく見かけており気になっていましたが、英語が通じないので諦めていたところわざわざ呼んでくださってそのような体験をすることもできました。

―総括―

インドネシアではしばしば停電が起きるそうで私たちがITDを見学している最中でも一時的に停電となりましたが、そのような環境下でも病気を治すために研究に奮闘されておられました。発展途上国だと言われていても優秀な方はたくさんおられ、年齢が私と同じか下のヤングドクターで、立派に患者を治療していました。その姿を見て刺激を受けることもたくさんありました。そしてインドネシアで多くの人々と出会い、日本とは異なる光景を目の当たりにして、宗教や文化に触れることができ、それらの数え切れない多くの貴重な経験は、私の未熟な文章力では表現することができません。私はアジアを訪れるのは初めてでしたが、インドネシアでの研修は本当に充実したもので、多くのことを学ぶことができたと思います。私は現在研究も臨床現場もどちらにも興味があり、今後どのように進むことになるのかまだ模索中です。それでも今のうちに多くの世界を知り、多くのことに触れることで将来医師となる時に生かせるよう努力していきたいと思います。

最後になりますが、今回の基礎研究室配属に関して、大学の先生方、現地の医師や先生方、学務室の事務の方々など、多くの方々のお力添えのおかげでこの研修が充実したものとなりました。また、大学からは渡航費用に当てるための奨学金を頂きました。この場をお借りして、心から感謝の意を示したいと思います。

ページの先頭に戻る
前のページに戻る