医学部医学科3年
宮永光次さん
こんにちは、医学部医学科3年の宮永光次と申します。本学医学科には3 年次の夏休み直前に基礎研究室配属というカリキュラムがあり、学生は基礎研究科目の研究室に短期配属して医学研究の手ほどきを受けます。私はこのカリキュラムでインドネシアのスラバヤに行き、20日間の研修をさせていただきました。海外の研究所を研修先に選択した例は今までにないらしく、後進の学生の参考になるかと思いますので、その報告をさせていただきます。
インドネシアは東南アジア南部に位置する共和制の国家で1万を超える大小さまざまな島で構成されており、それぞれの島には特有の言語、文化・伝統が根付いた異なる民族が住んでいます。アメリカは移民によって構成された多民族国家ですが、インドネシアは政治的な国境線で生じた多民族国家といえ、その人口は世界第4位の2億3千万人です。日本では、首都ジャカルタのあるジャワ島、津波被害にあったスマトラ島、カリマンタン島、バリ島、ロンボク島、ティモール島、パプア島が有名です。
研修先のスラバヤは、ジャワ島の東側に位置するインドネシアで2番目に大きい都市で、人口は約300万人、言語はインドネシア語を公用語とし、ジャワ語も用いられます。現地の人は英語を聞くことはできますが話すことは苦手らしく、また、インドネシア語の発音が影響するため、現地の人の話す英語には聞き取りにくいところがあります。例えば、A、B、C の発音がアー、ベー、セーで、これに慣れるまで時間がかかりました。国民の90パーセントはムスリムなので、一日5回のお祈りの時間のたびに街中にコーランが流れ、独特の雰囲気を醸し出しています。アラブ語で、歌うように流されており、到着した次の日の朝4時半に初めて聞いたときは石焼イモの宣伝かと思いました。交通に関しては、どこから出てくるのかと思うぐらい、原付バイクと車が街中にあふれ、飛行機で上から見ると街は常に排気ガスで包まれています。原付バイクを一家の足として、大人2人+子供2人を乗せて運転するので、排気ガスは通常よりも多く排出されるようです。
民族は大きく分けるとジャワ系、アラブ系、中国系の3つで構成されていますが、混血もあり、一目では分からない場合もしばしばあります。中国系はキリスト教徒で少数派ですが、経済を動かしているために、他の民族と比べるとほとんどが裕福な人々で、居住する地域も異なり、豪邸に住んでいる人々が多いようでした。貧富の差が激しく、所得の低い人々はネズミなどが徘徊する掘っ立て小屋のようなところにニワトリなどの家禽とともに住み、トイレは近くの川で済まします。居住地域は日陰を作るためか、密集して家が立ち並んでいますが、衛生面はその分悪化し、感染症が蔓延しやすい環境を作り出しています。例えば彼らのお手洗いには紙はなく、貯水している桶の水を用いるのですが、そこはボウフラが発生しやすく、蚊で媒介される疾患が拡大しやすい状態です。
発展途上国での研修を選択した理由の第一に、今まで私は先進国にしか滞在した経験がなく、先進国とは大きく異なる生活環境、文化、言語、歴史を有する発展途上国の人々と関わる事によって己の視野を拡げ、また将来の生き方の可能性を模索する機会にしたいと思ったことがあります。また、この先いやがおうにも関わる英語という一言語に対するスキルを磨く必要性を常日頃から感じていたことが二つめの理由として挙げられます。さらに、6年間の学生生活のうちまとまった時間を海外で過ごすことができるのは3年次のこの時期だけだろうとの思いがあり、このことが基礎研究室配属で海外研修というアイデアを思いつくきっかけとなりました。 感染症を研究対象として選択した理由は、肝炎やAIDS、結核などの感染症が人間同士の関わりからもたらされるものであることなど、日常生活に密接に関わっているところが非常に興味深かったからです。また、新興再興感染症や薬剤耐性菌の出現、院内感染など、単純に抗生物質の投与だけでは解決できない新たな問題が生じてきていることからも、この分野を深く学ぶ必要性を感じていました。
次に、スラバヤのアイルランガ大学のキャンパス施設であるITD(Institute of Tropical Disease:熱帯病研究所)が研修先となった経緯を述べます。これには福井大学医学部微生物学領域の定清直教授、定教授の元上司にあたる神戸大学大学院医学研究科微生物学分野の堀田博教授、J-GRID (Japan Initiative for Global Research Network on Infectious Diseases:感染症研究国際ネットワーク推進プログラム)神戸大学インドネシア拠点代表責任者の林祥剛教授(同感染病理学分野教授)、ITD 所長のナスロヌディン教授、及び、コンタクトパーソンでありJ-GRID 神戸大学インドネシア拠点常駐研究者(神戸大学特命助教)である内海先生の多大なご尽力とお力添えがありました。J-GRID は文部科学省と理化学研究所が主導しており、感染症研究に優れた実績のある我が国の8 大学、2 研究機関が海外8ヶ国に感染症研究の海外拠点を設立し、日本人研究者を常駐させ、相手国の研究者と共同で感染症研究活動を進めています。感染症研究の技術の集積と新しい知見の発見、感染症研究分野で国際的に活躍する人材の育成、及び日本国民の健康と安全を守ることを目的とする国家プロジェクトです。2007年から神戸大学-インドネシア共同研究拠点として鳥インフルエンザ及びウイルス肝炎の共同研究が開始され、その後、デング熱と腸管感染症の研究課題も追加されています(第1フェーズ、現在前述のJ-GRID として第2フェーズ)。基礎研究室配属先として海外の研究施設を選ぶことについて相談するため定先生を訪ねたところ、研修先の検討を快く引き受けていただき、後日、このITD を紹介していただきました。その際、ITD では内海先生が研究されておられるB 型・C 型・E 型肝炎ウイルスの研究を見学させてもらうことに決めましたが、それは、2年次の後期で受けた定先生による微生物/免疫の講義の中でも特に肝炎ウイルスの講義が興味深かったからです。実際にインドネシアに旅立つ前に、定先生と内海先生との間で多くの連絡のやり取りをしていただき、日本では福井大学医学部微生物の先生方に微生物研究の手技や特別講義を受け、また現地では滞在先の施設の斡旋や予約・スケジューリングなど、細やかな部分まで丁寧にしていただきました。私自身は旅行の手配や英語学習、及び微生物の講義の復習以外はほとんど準備する必要はなく、ただ用意された乗り物に乗り込むだけのような状態でした。
20日間の滞在のうち、前半は病院見学、後半はITD の見学をさせていただきました。見学させていただいた政府運営のDr.Soetomo 病院では所得の低い感染症の患者が多く、またその民族構成もジャワ系やアラブ系がほとんどでした。この病院で、内科専門医のビタナタ医師の受け入れの下、内科の熱帯感染症部門の見学をさせてもらい、病棟の説明、マラリアやデング熱、また原因不明の貧血患者の診断の過程を、実際の患者の前で教えていただきました。また、HIV 感染症の病棟では、AIDS 患者の見学や、HIV についての講義をアイルランガ大学の4年生のヤングドクターたちと伴に受け(インドネシアでは4年の初めに卒業をするので学生とは呼びません)、先進国と途上国でのHIV に対する捕らえ方の違いを学びました。ここで出会ったヤングドクターたちは、短期間に関わらずとてもフレンドリーで、積極的に話しかけてくれ、食事に誘ってくれたり、お土産を選ぶのを手伝ってくれたり、ある友人は当直にも誘ってくれ、途上国の夜勤という貴重な経験をさせてもらえました。内科の見学の最終日にはデング熱に関する臨床報告をする機会も与えていただき、ヤングドクターたちにインドネシア語で書かれているカルテを訳してもらい、多くの 言語的・医学知識的なサポートをもらいながら、無事に発表することができました。今でも彼らとはFacebook を通じて、交流させてもらっています。Dr.Soetomo 病院の小児科にも、飛び込みで見学をお願いしたところ、小児科専門医のアンゴノ医師に快く承知していただき、一般小児科病棟や、隔離病棟、新生児室や手術後の小児病棟を案内してもらいました。平均寿命が60歳と、日本に比べて短く、子どもの数が多いインドネシアらしく小児病棟が他の一般病棟に比べて広い敷地を有していたのがとても印象深かったです。さらに、後日、この病院で新築の生体組織診断検査室をアイルランガ大学医学部に勤めるプリヨ医師に案内してもらいました。そこでは、入院患者から採取した血液や便から原因菌を培地や抗生物質をもちいて特定し、耐性を検査していました。実際に結核菌のZiehl-Neelsen 染色の現場や、培地に抗生物質を塗布する作業を見させてもらいましたが、全員素手で行なっていることや検査机が雑然としていることが衛生面から気になりました。また、結核菌用の培地作成などは、全自動の機械を新しく購入したにもかかわらず、検査専門の技術を専門学校で学んだ20代前半の若い検査技師たちが行なっており、それらの様子から結核蔓延の規模と深刻さ、また、就職率の低さを感じました。
ITD では、Dr.Dadik 率いる下痢症チームDiarrhea team、内海先生の肝炎チームHepatitis team、山中先生のデング熱チームDengue team の順に見学しました。個々の実験の細かい工程や試薬の種類・名称などは先進国とほぼ同じであったので、今回は途上国ならではの基礎医学実験にかかわる問題に焦点を当てて学ぶことにしました。
このチームの研究室では腸管感染症の原因菌である、サルモネラ、大腸菌、コレラや、マイコバクテリウムの結核菌、ハンセン氏病を引き起こすレプラ、さらにはマラリア原虫も研究しています。またDr.Soetomo 病院から下痢症患者の血液サンプルを受け取り、その原因菌の特定、及び現在処方されている抗生物質に対する耐性評価を行い、処方が適切かどうかを検討します。前述のとおり、病院内にも検査部門はありますが、大量のサンプル、少ない人員、短い検出時間等の理由から検査結果の信頼性が低いため、実際には、この研究室がより正確な検査室として機能しているようです。また、Dr.Dadik からは、スラバヤにおける国民保険を取り巻く医療事情や、一般の人々の疾患に対する対処方法や診てもらう医療機関の選択の傾向についてのお話を伺いました。 一方、この研究室での研修活動としては、同室の技術者のアドバイスの下、サルモネラ菌のコロニーをMacConkey agar を用いて形成させ、抗生物質である、テトラサイクリン、クロラムフェニコール、そしてアンピシリンに対する感受性をそれぞれ比較検討しました。
このチームの研究室では、研修活動として、B 型、C 型肝炎ウイルスの核酸抽出、及び、核酸塩基配列の決定を行ないました。B 型肝炎ウイルスについては、東カリマンタン州で回収された血液サンプルの調製からPCR(DNA 増幅反応)の直前まで行いました。サンプル全体の内、2%はHBs 抗原陽性であり、これらは既にウイルス核酸の抽出及び塩基配列決定が終了していました。残り98%の検査結果は陰性ですが、抗原検査キットの輸入元と現地とでは蔓延するB 型肝炎ウイルスのサブタイプに違いがあり、偽陰性の可能性があります。このため、残りのサンプルについてもPCR での確認が必要な場合があり、私もこの実験(核酸DNA の抽出)をお手伝いしました。内海先生からは肝炎チームで得られた成果について説明を受けました。大まかに述べると以下の五つになります。第一に、インドネシアで近年増加傾向にあるHIV 感染者の中で、B 型肝炎の重複感染が多数認められることを突き止めました。第二に、血液サンプルの解析からインドネシアの透析患者でB 型肝炎及びC 型肝炎の高い陽性率を検出しました。この現状を現地衛生局に報告し、原因解明に双方が協力することで一致しました。第三に、パプア州の高地に居住する原住民の血液サンプルからB 型肝炎ウイルスの新たなSubgenotypeを発見しました。日本人旅行者がこの地域に滞在した場合に感染の恐れがあるため、それらの変異株に対する知見を深めておくことが将来的に感染拡大防止に役立つものと思われます。第四に、このチームではB 型肝炎ワクチン接種のインドネシアにおける評価を行っています。1992 年にWHO によりHBV に対するUniversal Vaccination が提言され、インドネシアもそれに批准、1997 年に開始しました。その後2007 年からワクチン効果の評価を行ったところ、ワクチン接種率は90%に上るものの、ウイルス抗原陽性率が依然高く、十分な効果を挙げていないことが確かめられました。今後はより正確な調査と、B 型肝炎ウイルスとワクチンに対する啓蒙活動を住民に広めていくことが重要だと思われます。第五に、E型肝炎についての地域差の検討では、イスラム教徒が多くを占めるジャワ島とヒンドゥー教徒が多くを占めるバリ島を比較した結果、バリ島の住民における抗ウイルス抗体陽性率はジャワ島に比し有意に高率でした。しかしながらまだサンプル数は十分とはいえず、継続した調査を行っていく予定とのことです。その他にも多くの研究課題がありますが、いずれも短い平均寿命による肝炎発症前の死亡や、血液提供に対する忌避感、また住民の感染症に対する理解の不足といった、途上国ならではの問題も抱えています。
このチームの研究室では、デング熱や日本脳炎、ウェストナイル熱など、フラビウイルス科のウイルスによって引き起こされる感染症を研究しています。これらはいずれも蚊が媒介する感染症です。この研究室での研修活動として、ITD 付近で実際に蚊を採取し、それらの雌雄および種類の区別、また卵や幼虫(ボウフラ)の生物学的な観察を行いました。感染症ごとに媒介する蚊の種類が決まっており、デング熱はAedes Aegypti(ネッタイシマカ)とAedes Albopictus(ヒトスジシマカ)、日本脳炎はCulex(コガタアカイエカ)、そしてマラリア熱はAnopheles Gambiae(ハマダラカ)が媒介します。それらの蚊の区別のポイントを、研究室のクリスさんに顕微鏡や標本を通して教えていただきました。チーフの山中先生からは、フラビウイルス感染症に対する取り組みを、「ウイルス分離」、「診断・治療の基礎研究」、「予防」の三つの観点から教えていただきました。「ウイルス分離」 と「診断・治療の基礎研究」では、ウイルス感染させた細胞からRNA を抽出し、PCR で増幅後、デングウイルスの4 つの血清型にそれぞれ特異的なプライマーのバンドを調べることで感染しているデングウイルスの血清型を判別していることを教えていただきました。デングウイルス感染症でもっとも問題になっていることは、このウイルスが比較的軽症なデング熱を引き起こすだけでなく、致死率の高いデング出血熱を引き起こす場合があることです。先生の研究により、地域で蔓延しているデングウイルスの血清型が切り替わるとデング出血熱が発生しやすいことが確かめられ、事前に現地衛生局へエビデンスに基づいた勧告をすることができたそうです。「予防」の項目では、親蚊がウイルスに感染しているとその卵子や精子も感染しうるVertical Ovarian Transmission という現象を教えていただきました。このことから、感染予防として、幼虫や卵を含めた殺虫が重要と考えられ、卵や幼虫の段階での蚊の撲滅の取り組みを教えていただきました。具体的には、殺虫剤の使用やタイヤなどのボウフラの発生する水溜りから水を捨てる事、その他、銅を沈めておくことでボウフラの致死率が飛躍的に高まることを利用します。それらの継続した投与や水溜りを 作らないための知識などを、市民講座等を通して広めています。銅を用いたプロジェクトは来年から本格的に始まるそうですが、盗難を防ぐための念入りな予防策を講じる必要があると感じました。
ITD 見学の全体を通して、それぞれの先生方は自身の研究課題を、現地の状況に合わせ様々な工夫を凝らして実施していることを感じました。実験自体は人相手ではないものの、研究を効率よく行ううえでは、互いの信頼に基づいた良好な人間関係が必要であり、日本で行うにしても、他国で行うにしてもその点に注意を払うべきである、というのが今回の見学で得たもっとも大事なことであったように思います。今回、報告書を書くにあたって、自身の文章のつたなさに愕然とする一方で、現地で得たことのほとんどは文章や言葉に還元できないことを思い知らされました。文章でイメージできる途上国と、実際に現地に赴いて経験する途上国とでは、その質に雲泥の差があり ます。単なる視覚的な情報や、観光地の景色よりも、現地のにおい、音、気候、時間など、自身の五感でしか感じることのできないものから得たものの方が、はるかに大きかったと思います。とは言え、この報告書を読んで下さった方の中に、自分も途上国に身を置いてみようかなと思った方が一人でもいらっしゃれば、これに勝る喜びはありません。 最後になりますが、今回の基礎研究室配属に関して、大学の先生方、現地の医師や先生方、学務室の事務の方々など、多くの方々に支えていただきました。また、大学からは渡航費用に当てるための奨学金を頂きました。この場をお借りして、心から感謝の意を示したいと思います。