本学では、1月9日、(公財)日下部・グリフィス学術・文化交流基金との共催で、オンライン国際シンポジウム「グリフィスの福井@150」を開催しました。
このシンポジウムはウェビナー形式で、明治初期に福井藩に招かれたウィリアム・E・グリフィスの来福150周年を記念して行われました。グリフィスの母校である米国ラトガース大学のグリフィス・コレクションなど歴史資料保存の責任者を務めるフェルナンダ・ペローン博士、歴史家の加来耕三氏、福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計館長の3名が講演者として、本学からは上田孝典学長と同基金の理事長で国際地域学部の細谷龍平特任教授、その他視聴者を含めて計51名が参加しました。本シンポジウムでは、グリフィスの福井滞在が本人および福井にとって持った意味と、それを超えて日米関係全体につながった歴史的意義について掘り下げた議論が行われました。
ペローン氏は「グリフィスが福井に残した遺産」と題する基調講演で、幕末の、福井藩士であった日下部太郎とグリフィスとの邂逅、その後グリフィスが福井での経験を土台に築いた日本観と、彼の後に続いたラトガース大学と日本との人的交流が日米関係全体に持った影響などについて話しました。
加来氏は、松平春嶽をはじめとする当時の福井藩が目指した明治維新の「第三の道」(幕府と薩長との間を取り持とうとした中道路線。米国との関係を重視)がもし貫かれて、日本が米国との関係を主軸にした世界での立ち位置を明治時代から築けていれば、太平洋戦争は起きていなかったかもしれない。その視点から、グリフィスの証言をさらに検証すべきだとの考えを提起しました。
角鹿館長は、キリスト教の牧師でもあったグリフィスが、日下部太郎が病に倒れて果たせなかった日本の近代化のために来日した一方で、異なった文化・宗教間の共存共栄を尊ぶ日本的精神に共鳴し、その双方の価値を統合した人であったとし、グリフィスの生涯は戦後の日米関係の重要な布石になったとの見解を披露しました。
グリフィスの来福150年記念の催しは今後も続きます。今回のシンポジウムでの議論は両大学の関係者などの間でさらに発展させて行くこととしています。
日下部・グリフィス基金のHPはこちら
http://www.kusakabegriffis.com
本研究に関する研究者情報はこちら
細谷龍平特任教授
https://r-info.ad.u-fukui.ac.jp/Profiles/8/0000723/profile.html