CHAPTER01繊維王国・福井の技術力を背景に、
水を使わない「超臨界流体染色」と
「スマートテキスタイル」の開発に挑む
学術研究員 工学系部門 准教授 廣垣和正 × 株式会社フジックス 生産部 研究開発室長伴野統哉
左:廣垣和正
三重県出身。福井大学工学研究科ファイバーアメニティ工学専攻博士後期課程修了。独立行政法人科学技術振興機構博士研究員等を経て、2009年、福井大学工学研究科助教に就任。2012年より現職。専門は繊維材料、染色化学、コロイド化学。「福井は繊維の研究に最適な環境です。海も山も近く、休日はドライブを楽しんでいます」と、公私ともに福井に親しんでいる。
右:伴野統哉
京都府出身。1994年、京都市の株式会社フジックス入社。研究開発室に所属し、縫い糸等への機能付加など数多くの研究に携わり、2013年、室長に就任。「糸は生地と生地を繋ぎながら、衣服などそれぞれの製品に求められる機能も果たしています」と語る糸のプロフェッショナル。福井大学との共同研究が始まってからは、月1回程度のペースで当地へ足を運んでいる。
研究の目的・内容
世界の染色産業で1年間に使われる水の量はおよそ5.8兆リットルといわれています。当学大学院工学研究科では、予測される地球規模の水不足を視野に入れ、水の替わりに超臨界状態の二酸化炭素を用いる「超臨界流体染色」の研究に取り組んでいます。
また、縫い糸をはじめとする各種繊維製品の製造・販売を手掛ける株式会社フジックスでは、将来の水不足問題に加え、廃水処理対策の面からも、水を使わない染色法の開発に強い関心を寄せてきました。
両者が協力し、「超臨界流体染色」の技術開発に取り組むとともに、電子機器と衣料を融合させた「スマートテキスタイル」開発への展開を目指しています。
成果
超臨界状態の二酸化炭素に適合する染料の特性や、産業界での実用化に必要な技術の安定性など、「超臨界流体染色」の技術を確立するための検証を重ねています。数々の課題を、アイデアを出し合いながら一つひとつ解決してきた結果、新たな手法や貴重なデータが蓄積されました。さらに、これらを生かし、スマートテキスタイルに有用な材料の研究も進めています。
危惧される世界的水不足を視野に
「超臨界流体染色」の開発に挑戦
廣垣・現在の日本では、普段の生活で水に不自由することはほとんどないですが、世界全体では今後水が不足していくだろうと予測されています。2050年までに世界人口が100億人に達すると見込まれ、その内の3分の1、或いは2分の1の人が飲み水にも困るだろうという指摘もあります。そのような中で、水を大量に使う産業は成り立たなくなるという危機感が生まれ、その一つが染色業でした。
伴野・そうですね。弊社は縫い糸やミシン糸などを製造していますが、生産工程の一つである染色は、その次工程となる洗浄を含め、大量の水が必要です。工場は、琵琶湖と隣接する滋賀県東近江市にあり、染色後の廃液を処理するためのコストも大きく、水問題については強い関心を持っていました。それから、日本の繊維メーカーは30年程前から海外への工場移転をどんどん進めてきましたが、移転先の国で水の使用制限が強まっていくことも考えられます。ですから、いかに水を使わずに事業を継続していくかという課題への対策は、我々企業にとって必須になってきていると感じています。
廣垣・水に替わる媒体として着目されたのが超臨界状態の二酸化炭素で、これを用いる「超臨界流体染色」という方法がドイツで開発されたのが30年ほど前のことです。当大学でも早々にこの研究に着手し、私の恩師である堀照夫先生が中心となって進めてこられました。その後、私が教員として赴任して間もなく引き継がせていただきました。それから11年近くになりますね。フジックスさんとの共同研究も堀先生時代にスタートし、現在にいたります。
伴野・そうでしたね。福井大学さんは染色技術の研究では非常に進んでおられたので、6年以上前からいろいろご相談したり、一緒に新しい技術の研究をさせていただいたりして今に至っています。
廣垣・確かに当大学の染色に関する研究の歴史は長く、その積み重ねによって築かれた研究成果や開発力は他の大学や研究機関と比べて抜きん出ていると自負しています。そのベースがあるからこそ、「超臨界流体染色」や、染色技術を生かした新素材の開発にチャレンジできると思っています。
水と超臨界二酸化炭素の違いは多様
次々とぶつかる壁を一つずつ克服
伴野・現在日本で用いられている染色法は、水に染料を溶かし、その中に繊維を入れると、染料が繊維の中へ入り込むという現象を利用していますが、この水の部分を超臨界状態の二酸化炭素に置きかえたのが「超臨界流体染色」で、水を使わないので「無水染色」と言ったりもしますね。
廣垣・ええ、超臨界状態の二酸化炭素というのは、気体と液体の中間物質で、二酸化炭素が気体でも液体でもなくなる臨界点の31.1度、7.4メガパスカルを超えると超臨界状態になります。この気体と液体の中間状態は、物を溶かすことができ、溶かされた物質は細かい隙間まで入っていくので、染料を溶かして繊維を入れておくと、染料が繊維の中に移り込むのです。二酸化炭素は繰り返し利用できる上、界面活性剤などの助剤を使用しなくて済むので、染色の媒体としては非常に優れています。また、廃液が出ないので、処理施設が不要というメリットもあります。しかし、これはあくまでも原理。何と言っても新しい技法ですから、ノウハウやデータを一から取得し、蓄積していくのは骨が折れる作業です。例えば、染料にはそれぞれの特性があり、従来の水による染色法で使用している染料の全てが超臨界状態の二酸化炭素の中で使えるわけではありません。適合するものを選定していくのはかなり大変な作業でした。
伴野・基本的には、従来水でやっていることをいかに超臨界状態の二酸化炭素でやっていくか、ですが、個々の問題は一様ではなく、水でのやり方をそのまま適用してもうまくいかないことがたくさんありました。染色というのは、一つの色は何度染めても同じ色に仕上がらなければならないという再現性や、他の物に色移りしない染色堅ろう性などが求められますが、これらを実現するための課題が次々と見つかってきました。その壁を超えるために先生にご相談し、解決方法を検討していただいて、実証試験を行う。その繰り返しで一歩一歩進ませていただいています。
廣垣・超臨界流体染色の基礎的な理論は、20年に及ぶ研究の中で、ある程度確立されていますが、実際に産業で恒常的に使おうとすると、さまざまな問題が現れてくるので、一つひとつ検討し、知恵を絞りながら解決していくしかないという感じですね。
画期的染色法を各国が模索
実用化に向けてスケールアップが課題
伴野・産業として活用できるかどうか、つまり超臨界流体染色の実用化には、スケールアップが大きな課題ですね。我々企業が継続的に生産していくには大規模な設備が必要ですが、大学の実験装置や弊社のミニプラントでできたことが、大きな装置で再現できるかといったら、やはり事情が違ってきます。そこをどうするかが重要なポイントです。
廣垣・そうですね。装置のスケールアップに伴う諸々の問題にどう対処するかは、私たちの研究に限らず全ての研究につきまとう課題です。大学の小さな装置でやっていたことを大規模な装置で実現しようとすると、その間には大きな谷があって、そこをどうやって越えるかになっていきます。
伴野・タイや台湾では既にこの染色法が実用化されていますが、我々がぶつかっているような問題をクリアできているのでしょうか。生産用の装置を導入するのは大きな投資になりますが……。
廣垣・いいえ、まだ、試験しながら生産している状態のようです。法規制をはじめ産業界を取り巻く環境は国によって異なりますから、どこが進んでいるとは一概にいえないですね。
進化させた高度な染色技術を
スマートテキスタイルへと発展させる
伴野・超臨界流体染色の研究についてお話してきましたが、この手法を発展させ、活用できると考えられるのが、今脚光を浴びているスマートテキスタイルの分野です。既に心電波形や心拍数など体からの信号を検出し、情報として取得できる繊維が開発されています。そのような中で弊社も、これまでの事業に留まらず、新しい分野を開拓して行かねばならないと考えるようになりました。そこで、さまざまな電子機器の機能を持つ繊維の開発についても先生と一緒に取り組ませていただいています。
廣垣・フジックスさんと続けてきた染色技術の研究が発展して、新たな技術開発へ繋がっていますね。スマートテキスタイルの研究では、医療やスポーツなどさまざまな分野で使用されている電子機器の機能を備えた繊維が考えられており、携帯電話の機能を衣服に組み込むというのも一例です。私たちの生活の一部になっているさまざまな電子機器が、衣服と合体するイメージですね。
伴野・弊社の場合は、生地と生地を繋ぐ縫い糸をメインに製造していますので、この縫い糸を材料に、スマートテキスタイルにアプローチできないかなと考えています。また、繊維は非常に柔軟性がある素材ですので、電子機能を備えながら、身に付ける人の快適性も目指して行きたいという想いもあります。そのために我々が取り組んでいるのがスマートテキスタイル全体のプロセスに関わることですね。
廣垣・ええ、心電図情報を取るなど個別具体的なことが目的ではなく、スマートテキスタイルという素材全てに通用するような繊維材料の開発と言えるでしょうか。多くの方にとってまだ具体的イメージがつかめない研究ですが、繊維の可能性にフジックスさんとともに挑戦していきたいと思っておりますので、引き続きよろしくお願いします。
伴野・私どもも、新しい事業展開を見据えた研究ができるのはありがたいことです。これからもよろしくお願いします。