匂いの感覚から
人間の心を探究する
- 坂野 仁
- SAKANO Hitoshi
- 医学部 特命教授(高次脳機能、嗅覚神経系)
Profile
1947年、福井県生まれ。1976年、京都大学大学院理学研究科生物物理学専攻修了。スイスバーゼル免疫学研究所研究員、カリフォルニア大学バークレー校分子細胞生物学部教授、東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻教授を経て、2012年に東京大学名誉教授、2013年より現職。
研究者詳細ページ
嗅覚から「刷り込み」の仕組みの解明へ
カモの雛が孵化して初めて見た動くモノを親であるかの様に生涯後追いする「刷り込み」という現象。私達はマウスの嗅覚系において、生まれて7日目までに嗅いだ匂いは忌避すべきものであっても好ましいとして刷り込まれるという、同様の現象を発見しました。この生後間もなくのタイミングを「臨界期」と呼び、臨界期に適切な環境からの感覚入力を受けないと、成長後の社会行動に自閉症などの異常が生じると考えられます。私達は最近、刷り込み現象を支えるシグナル分子と、刷り込まれた記憶に“好き” という誘引的な価値付けを行う脳内ホルモンを同定しました。
先端研究そして新たな分野へ
嗅覚系は免疫システムに似て、わずか数百種類の匂い受容体遺伝子を用いて多様な種類の匂い情報を識別します。
様々な匂い分子は嗅上皮で検出され、その情報は大脳の前方下部にある嗅球に送られます。さらに嗅球の各部位から情動などを司る扁桃体の特定の部位に情報が分配される事によって、匂いについて誘引や忌避といった先天的な質感が判断されるのです。嗅球表面には約一千個の糸球体という匂い情報の中継点があって、その一つ一つが一種類の匂い受容体に対応しています。受容体に匂い分子が結合すると、嗅球ではそれに対応する糸球体が活性化するので、匂い情報は糸球体を画素とするデジタル画面に発火パターンとして展開されます。簡単に言えば、この嗅球表面の画像を脳の中枢が地図のように見て、複雑な匂いの種類を識別しているという訳です。
私達のグループは、糸球地図の作られる仕組みについて、世界に先駆けてその分子メカニズムを解明しました。現在は研究の中心を扁桃体や海馬など、脳の中枢に移しています。最初に述べたマウス嗅覚系の「臨界期」や「刷り込み現象」についても、最近の研究成果の一つです。これらの研究は、精神発達障害など人間の心の問題を分子レベルで理解し、将来の治療に繋げることに寄与すると考えています。
高校生の頃、父に連れられ日本アルプスに通ったのが山好きになったきっかけ。2008年、北穂高岳を下山中、400メートル滑落し九死に一生を得た経験から、「研究をするために生かされている」と天命を感じ、孔子の言う「耳順う」の気持で研究を続けています。写真は2012年、剱岳・三ノ窓にて。