戦国の村社会にあって 庶民はどう生き抜いたのか
- 教育学部 准教授(日本中世史)
- 長谷川 裕子 先生
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人々の命を生かす村社会
戦国時代、命を脅かす「戦争」や「飢饉」の間も、人々が生きるために、「村」は様々な機能を有していました。戦争が始まれば、村は隣国の侵攻を防ぐ武力主体となり、村の中で問題がおこれば村の武力が解決しました。また、村には有力者といわれる人が1人ないし複数存在し、飢饉が起これば、百姓たちの年貢の肩代わりや経営の手助けをして、村人の生活を助けました。
私は、このような村社会のあり方や村人の生存の問題について、室町時代から江戸時代前期(1400年代後半から1700年代くらい)を対象に研究しています。元々、北近江を治めていた戦国大名の浅井長政に興味を持ったこともあり、滋賀県北部(現長浜市・米原市周辺)を主な研究フィールドとしています。
庶民の視点に立ち考える
信長・秀吉以降の時代は、活字化された庶民の史料が少ないため、現地に足を運び古文書などを探します。さらには、家を一軒一軒訪ねて住民の方に「聞き取り調査」をしたり、木の札や墓石に書かれた文字を調べる「金石文調査」をしたりします。
史料の考察は、「庶民の視点」に立つことを心がけています。かつては、戦国大名が先見の明をもって、様々な政策を実施し、支配体制を深化させたと考えられてきましたが、実は、その時々の社会情勢や庶民の行動が大きく影響していたことがわかっています。例えば、戦国時代、関東一帯を領国とした北条氏康は、巨大地震で疲弊した百姓の「侘び言」を受けて減税策を講じたり、凶作・飢饉によって困窮した百姓の離村や人身売買が横行するなかで、「目安箱」を設けて百姓の直訴を保障したりしました。百姓たちも戦国大名の政策を決定づけていくのです。そうした、庶民が積み上げた動きを、まず理解するようにしています。
福井の歴史を明らかに
豊臣政権期(1583年〜1603年)になると、福井(越前)は細かく分割され、多くの領主によって支配されますが、支配領地の範囲など、基本的なことですらほとんど研究されていないので、今後は、この分野にも取り組みたいと考えています。また、若狭地方の漁村の生活のあり方、生産物を納めていた京都などの都市や、日本海を通じた外の世界とのつながりについても明らかにしたいと考えています。
今ハマっていること★
小学生の時に見たアニメ「機動戦士ガンダム」(1st)をきっかけに、「SEED」「ユニコーン」「鉄血のオルフェンズ」「ORIGIN」などのシリーズを観ています。ガンプラも自分で作れるようになりたいです。