東村 純子 先生

考古学で織物の歴史に迫る

物言わぬ考古資料

考古学は、土の中を発掘し、そこから出てきた古代の「遺物」から、当時の人がどのような生活をしていたかを復元する歴史学のひとつです。私は主に古代・中世の遺跡から発掘された織物や、織物を作る道具の研究をしています。

織物や木製の道具は、石器や土器に比べて土の中で腐りやすく、原形をとどめたまま発掘されることが少ないため、あまり研究が進んでいません。史料によれば、織物は身にまとうだけではなく、「和同開珎」などの貨幣が流通するまでその代わりとなる大事なものでした。奈良時代の「租庸調」制では、絹や麻の織物が税として納められ、官人への給料の支払いも織物でした。それを市場で物々交換するなど、織物の役割は大きかったのです。ただし、発掘された遺物は、文字で書かれた史料とは異なり、何も語ってくれません。実際には織物がどのような技術でつくられたのか、考古学からその歴史の事実に迫ることに魅力を感じるのです。

 

織物の技術を復元する

p13_2日本では弥生時代に稲作とともに機(はた)織り技術が大陸から伝わってきました。弥生時代の機織り具を復元するにあたり、台湾や東南アジアの先住民族が今も使う機織り具とよく似ていると推測し、現地で実際に使い方を見聞きしました。
これまで弥生時代の織り機は、直線状に並んだ経(たて)糸に緯(よこ)糸を通して織り上げていくものと考えられていましたが、さまざまな遺物の分析から、経糸を輪の状態にして織る「輪状式」に復元できることがわかりました。足と腰の間に経糸を張って織るため、織り上がる布の長さや幅は限られますが、この布2枚で当時の人が着ていた「貫頭衣」を作ることができます。
最近、栃木県の甲塚古墳という首長墳から、機織りをする女性の埴輪が新たに発見され、布の織り手が女性であったこともわかってきました。このような当時の社会・経済活動に連なる織物生産にたずさわっていた女性の働きにも注目しています。
国内では考古学の分野で織物を研究している人は少なく、海外の研究者とも広く交流しながら、研究を深めたいと考えています。一方で、勝山市で今もなお、麻の糸作りから布を織る技術が伝承されています。織物の産地である福井から、古代に遡る機織り技術の保存や復元に自分の研究が寄与できればと願っています。
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p13_4今ハマっていること★

童心にかえって子どもと遊ぶこと。娘が着ているのは、私が中学生のときに家庭科の授業で作った甚平さん。